
第四話 「月夜の森の物語」
※第一話から第三話は第四話に続いて掲載しています。
蒼い月夜のことでした。
ヲヲイは森のまんなかで、草笛を吹いておりました。木々の間を流れる音色に、夜の獣や草花たちは緩やかに身をまかせて踊っていました。
突然、子どもの泣き声が森にこだましたので、ヲヲイは驚いて辺りを見回しました。
おや、見知らぬ男の子がひとり、樫の木の根元にしゃがんでいます。
「秋まつりはどこ」
男の子はおずおずと尋ねました。
「ここはただの暗い森だよ。おまつりはやってない」
「笛の音がしたからこっちだと思って」
「僕が吹いてたんだ」
「ひとりで来ちゃった。帰り道もわからない。おかあさんに叱られる」
そう言って男の子は泣きじゃくりました。
ヲヲイはおろおろして、男の子を笑顔にできることはないかと一生懸命考えました。そして、カラスウリの白い花をほどいて帽子を編んであげることにしました。男の子の頭に帽子をのせると、雪洞のように淡く光りました。男の子は少し笑いました。
「名前はなんていうの」
「コウタ。きみは」
「ヲヲイ」
「変なの。目の色も変わってるね」
コウタはヲヲイの紫色の瞳をじっと覗き込んできました。ヲヲイは恥ずかしくなって目を伏せました。
「頭の上のふたつのとんがりは耳?」
「違うよ。ツノだよ」
「ツノがあるんだ」
「うん。悪魔だからね」
「ふうん」
「耳はここ」
ヲヲイは顔の両脇にある丸い耳を引っ張っておどけてみせました。コウタはキャキャっと笑いました。
コウタはまじまじとツノを見て、小さな声で言いました。
「ちょっとツノにさわってもいい?」
ヲヲイはコウタがツノに触りやすいように、少しかがんで頭を下げました。
「掘りたてのたけのこみたい」
コウタはヲヲイのツノをやさしく撫でました。
「なあんだ、ちっとも怖くないや。おかあさんは悪魔は怖いものだって言ってたけれど」
ヲヲイはくすぐったい気持ちになって、思わずスキップをしました。コウタもその後に続きました。
あれれ。ヲヲイは自分の胸に手を当ててみました。何だかココがほかほかする。 それからふたりは森の中で遊びました。かけっこをしたり、蜘蛛の巣の籠に花を集めたり。
「コウタはずっとここにいたらいいよ。おなかがすいたらいっしょに木の実を食べよう」
ヲヲイは近くの木に登って、橙色のもちもちした実をもいできました。厚い皮をむいて半分に割り、片方をコウタの手のひらに乗せました。
「冷たくて甘くてじゅわっとするね。今までに食べたどの果物よりもおいしいや」 「この森にいれば、毎日食べられるよ」
ふたりは木によじ登り、たくさんの実をかじりました。高い木の梢から、遥か遠くに人間の街の灯りが見えました。コウタは気づいていないようです。ヲヲイはコウタの気を逸らすように、月を指差しました。
「見てごらん。月が近い」
「ほんとだ。月にさわれるかも」
コウタとヲヲイは交互に枝の上で飛び跳ねて、月に向かって手を伸ばしました。コウタは息を弾ませながら言いました。
「こんなに楽しいのは初めてだよ」
ヲヲイにとっても初めて知ることばかりでした。
おいしいものを分け合うとさらにおいしくなること。誰かといっしょに遊ぶと心に羽根が生えること。それと同時に、自分はやっぱり悪魔なのだという思いが、ひたひたと胸の内に波打つのでした。
月の光がヲヲイのすべてをきっぱりと照らしていました。

※後編は11月1日公開予定です
※このショートストーリーについてのご感想、鈴懸さんへのメッセージ等は >>こちらで承ります。
第一話 「祝福の手をきみに」
私の左手はいつもポケットの中にある。
なぜかというと、
他の人とはちょっと違った手をしているから。
左手を目の前にかざし、まじまじと見る。
緑色で、ヤツデの葉の形をした手のひら。
右手よりも少しだけ大きい。
血管のかわりに葉脈が走っている。
見るほどに奇妙な手だ。
だから誰にも見つからないように、
ポケットに手を入れて歩くのが
習慣になっていた。
小糠雨の降る初夏の午後。
大きな杉の木の下で雨宿りをしていた私の足元に、小鳥が落ちてきた。
つばめだ。まだ少しくちばしが黄色い。
飛ぶための練習中だったのだろうか。
黒い羽根があさっての方に向かって
奇妙な角度に曲がっている。
小さくチチチと鳴いたきり、
地面の上に横たわって動かない。
私はまわりに人がいないのを確かめると、
ポケットから左手を出し、
できるだけそおっとつばめを拾い上げた。
長い間雨に濡れていたせいか、
つばめの体は冷たく湿っていた。
そぼ濡れたつばめは薄目を開け、
黒目がちな瞳でこちらをじっと見た。
それから大きく息をつき、
また静かに瞼を閉じた。
どうする?
と、私は心の中で聞いてみる。
頭の中ではたくさんのつばめたちが
うるさく鳴き交わしている。
この小鳥のことを心配しているようだ。
つばめの心は遠い世界を映していた。
ここではないどこか。
オレンジ色の屋根が並ぶ異国の街の上。
鬱蒼とした黒い森の中に見え隠れする
新しい花の色。
母鳥の呼ぶ声がする。
そしてつばめは
壊れていない方の羽根を震わせた。
飛びたいのだろうか。
ここから逃げたいのだろうか。
どうする?
私は自分の心にも聞いてみる。
決めた。
私は緑色の左手でそっとつばめを包み込み、
そこへおでこをつけて祈りながら目を瞑る。
心の中のつばめの上に、
白く透ける薄布が舞い降りてきた。
その上に芽吹きの淡い黄緑色の布。
またその上には、
伸びようとする葉の鮮やかな緑色の布。
さらに夏の木陰のような濃い青翠色の布が
重ねられてゆく。
現実には見えない布に覆われたつばめは、
穏やかな眠りについていた。
あたたかくて安心できる巣の中にいるように。
しばらくすると、
私の手のひらに微かな鼓動が伝わってきた。
最初は弱々しかったリズムが
徐々に力を得てゆく。
やがてつばめはもそもそと動き出し、
私の手のひらで脚を踏ん張り立ちあがった。
私に向かって、ちぃ、とひと声鳴くと、
勢いよく翼を広げて空の彼方へ飛んでいった。
雨はいつのまにか上がっていた。
私は緑の左手で、
つばめにもう一度だけ命を与えた。
「へえ。そんなことができるんだ」
青空の中で旋回するつばめを見つめていると、
隣に立つ男の人が独り言のように呟いた。
いつからここにいたのだろう。
ぎくりとして、
私は言い訳を絞り出そうと難しい顔をした。
男の人は黒縁の眼鏡のブリッジを押し上げながら
俯いて笑った。
「あのつばめは家族の元へ行ったよ、きっと。
きみのおかげで旅を続けられる」
二人並んで、つばめの去った空を見上げた。
街から街へ。春から夏へ。
季節をまたいで好きな場所へ飛んで行くつばめ。
緑の葉の手を抱えた私も、
つばめのように自由に
この世界を飛び回れたらいいのに。
誰にも気兼ねなく両手を翼のように広げて、
私のままでいたい。
いつだってひとりだった。
緑の手を持つ私は誰とも手を繋げない。
左手をポケットにしまい、
見知らぬその人に背中を向けて歩き出した。
不意にピンク色の花びらが
風に乗って私を追い越していった。
今ごろ桜?
振り返ると、
たくさんの桜の花びらが
あとからあとからこちらに流れてくる。
「あのつばめのかわりに、
きみへのプレゼントだよ」
男の人はそう言って笑った。
初夏の眩しい陽射しが笑顔を照らした。
それから男の人は、
季節に似合わない毛糸の手袋を外した。
その右手は、
鱗のように重なったピンク色の花びらに
覆われていたのだった。
「僕は嬉しいんだ。
この手で生まれてきたことがさ」
私に向かって右手を差し出す。
その手のひらで、
花びらたちが風にそよそよとなびいている。
私以外の、初めて出会った祝福の手。
季節はずれの桜吹雪が舞うなか、
私は美しい花のような手の方へ
ゆっくり歩いていった。
了
なぜかというと、
他の人とはちょっと違った手をしているから。
左手を目の前にかざし、まじまじと見る。
緑色で、ヤツデの葉の形をした手のひら。
右手よりも少しだけ大きい。
血管のかわりに葉脈が走っている。
見るほどに奇妙な手だ。
だから誰にも見つからないように、
ポケットに手を入れて歩くのが
習慣になっていた。
小糠雨の降る初夏の午後。
大きな杉の木の下で雨宿りをしていた私の足元に、小鳥が落ちてきた。
つばめだ。まだ少しくちばしが黄色い。
飛ぶための練習中だったのだろうか。
黒い羽根があさっての方に向かって
奇妙な角度に曲がっている。
小さくチチチと鳴いたきり、
地面の上に横たわって動かない。
私はまわりに人がいないのを確かめると、
ポケットから左手を出し、
できるだけそおっとつばめを拾い上げた。
長い間雨に濡れていたせいか、
つばめの体は冷たく湿っていた。
そぼ濡れたつばめは薄目を開け、
黒目がちな瞳でこちらをじっと見た。
それから大きく息をつき、
また静かに瞼を閉じた。
どうする?
と、私は心の中で聞いてみる。
頭の中ではたくさんのつばめたちが
うるさく鳴き交わしている。
この小鳥のことを心配しているようだ。
つばめの心は遠い世界を映していた。
ここではないどこか。
オレンジ色の屋根が並ぶ異国の街の上。
鬱蒼とした黒い森の中に見え隠れする
新しい花の色。
母鳥の呼ぶ声がする。
そしてつばめは
壊れていない方の羽根を震わせた。
飛びたいのだろうか。
ここから逃げたいのだろうか。
どうする?
私は自分の心にも聞いてみる。

決めた。
私は緑色の左手でそっとつばめを包み込み、
そこへおでこをつけて祈りながら目を瞑る。
心の中のつばめの上に、
白く透ける薄布が舞い降りてきた。
その上に芽吹きの淡い黄緑色の布。
またその上には、
伸びようとする葉の鮮やかな緑色の布。
さらに夏の木陰のような濃い青翠色の布が
重ねられてゆく。
現実には見えない布に覆われたつばめは、
穏やかな眠りについていた。
あたたかくて安心できる巣の中にいるように。
しばらくすると、
私の手のひらに微かな鼓動が伝わってきた。
最初は弱々しかったリズムが
徐々に力を得てゆく。
やがてつばめはもそもそと動き出し、
私の手のひらで脚を踏ん張り立ちあがった。
私に向かって、ちぃ、とひと声鳴くと、
勢いよく翼を広げて空の彼方へ飛んでいった。
雨はいつのまにか上がっていた。
私は緑の左手で、
つばめにもう一度だけ命を与えた。
「へえ。そんなことができるんだ」
青空の中で旋回するつばめを見つめていると、
隣に立つ男の人が独り言のように呟いた。
いつからここにいたのだろう。
ぎくりとして、
私は言い訳を絞り出そうと難しい顔をした。
男の人は黒縁の眼鏡のブリッジを押し上げながら
俯いて笑った。
「あのつばめは家族の元へ行ったよ、きっと。
きみのおかげで旅を続けられる」
二人並んで、つばめの去った空を見上げた。
街から街へ。春から夏へ。
季節をまたいで好きな場所へ飛んで行くつばめ。
緑の葉の手を抱えた私も、
つばめのように自由に
この世界を飛び回れたらいいのに。
誰にも気兼ねなく両手を翼のように広げて、
私のままでいたい。
いつだってひとりだった。
緑の手を持つ私は誰とも手を繋げない。
左手をポケットにしまい、
見知らぬその人に背中を向けて歩き出した。
不意にピンク色の花びらが
風に乗って私を追い越していった。
今ごろ桜?
振り返ると、
たくさんの桜の花びらが
あとからあとからこちらに流れてくる。
「あのつばめのかわりに、
きみへのプレゼントだよ」
男の人はそう言って笑った。
初夏の眩しい陽射しが笑顔を照らした。
それから男の人は、
季節に似合わない毛糸の手袋を外した。
その右手は、
鱗のように重なったピンク色の花びらに
覆われていたのだった。
「僕は嬉しいんだ。
この手で生まれてきたことがさ」
私に向かって右手を差し出す。
その手のひらで、
花びらたちが風にそよそよとなびいている。
私以外の、初めて出会った祝福の手。
季節はずれの桜吹雪が舞うなか、
私は美しい花のような手の方へ
ゆっくり歩いていった。
了
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[鈴懸ねいろさんのプロフィール]
綴リスト。左利きとして生まれ、のちに右手を使うよう矯正されて育つ。だが箸と鉛筆以外は左手メインのまま今に至る。なぜかアイスを食べる際だけ、どちらの手でスプーンを持つのか毎回迷う習性がある。右手でボールを投げると必ず暴投する。
様々なクリエイターが集う【note】にてエッセイやショートショートなどを執筆中。一行詩を添えた空の写真集《わたしの空》も公開している。
AJINOMOTO PARK×noteコンテスト『おいしいはたのしい』審査員特別賞、秋の読書感想文コンテスト(コトノハ)佳作、ショートショートnote杯『天才⁉︎で賞』受賞。
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