※第一回〜第五回は第六回に続いて掲載しています。
 

第六回 「愛知県民のソウルフードにまつわるお話

 
 今回はカトラリーつながりで少し脱線して、愛知県民のソウルフードについてお話をしようと思う。
 
 筆者は結婚を機に滋賀県から愛知県(東三河)へ移り住んだのだが、言葉や文化の違いに驚いた。中でも、愛知には独特の食文化があり、同じ愛知でも尾張と三河では全く違うのだ。例えば、「名古屋めし」の一つである味噌カツ。筆者は有名チェーンの「矢場とん」が好きで時々食べたくなるのだが、矢場とんは名古屋以東は岡崎までしか展開しておらず、思い立ったところでそう簡単には食べられない。その他、ひつまぶしや、味噌煮込みうどん等の有名店も、やはり名古屋が中心だ。しかし、そんな中にあって、尾張も三河も関係なく出店しているのが、愛知県民のソウルフードといっても過言ではないラーメンチェーン「スガキヤ」である。
 実は、筆者にとってもスガキヤは、子供の頃から馴染み深い店だった。というのも、滋賀といえば、のスーパー「平和堂」のフードコートに、必ずといってよいほど入っていたからだ。当時は平和堂自体の数が少なく、そうそう行けるものではなかったから、何となく特別感があった。大人になってからも無性にスガキヤを欲するタイミングがあり、何だかんだ定期的に通っていた気がする。そして満を持して(?)スガキヤ発祥の地に根を下ろすことになったのだが、夫は根っからの愛知県民なので、筆者以上にスガキヤ欲する率(何それ)が高かった。実際に行くのは最低でも月に1〜2回で、打診があるうちの何回かは筆者が却下している。店内でラーメンをすすりながら、「ついこの間来た気がするねんけど……?」「そんなことないよ。気のせいじゃない?」と、どう考えても高い頻度をうやむやにされるまでがデフォルトになっている。
 
 そんなスガキヤ(どんなスガキヤ?)を、スガキヤたらしめるものといえば、独特のスープと「ラーメンフォーク」であろう。皆さんはスガキヤのラーメンフォークをご存知だろうか。初見の方は、なんじゃこりゃと驚かれるかもしれないが、スプーンのようなフォークのような独特のフォルムのカトラリーである。そのデザイン性の高さから、ニューヨーク近代美術館でも販売されているというから驚きなのだが、現状のラーメンフォークは、実は今から16年前の2007年にリニューアルされたものなのだ。
 

※新旧の先割れスプーンが紹介されている動画です!
 
 そもそも、ラーメンフォーク誕生の背景には、創業者の「大量に廃棄される割り箸がもったいない」との思いがあったようだ。1978年に初めて登場した時には、フォークとなる歯の部分は3本で右寄りに作られていたが、環境保護への思いとは裏腹に、箸の代替物としてはなかなか定着しなかったようである。
 2007年のリニューアルでは、歯を3本から4本にして長くするなど、全部で5点の改良が加えられたようだが、注目すべきは歯の位置を右寄りから中央に変更して、左利きの人にも使いやすいデザインになった点であろう。従来のデザインは右利き用で、左利きの人には使いにくいものだったため、ユニバーサルデザインを取り入れたこの改良は、とても意義深いものであると思う。
 しかしながら実を言うと、筆者はこのラーメンフォークをほぼレンゲ代わりにしか使ったことがない。本来、フォークのような歯の部分で麺をすくい、スプーンのような腹の部分でスープをすくって、麺とスープを同時に楽しめるのがこのラーメンフォークのいちばんのポイントであろうが、それを十分に享受できていないのである。もしかしたらそういう方も多いのかもしれないが、せっかくなので次スガキヤに行く時(おそらく近々)には、ラーメンフォークのみでラーメンを食べてみようと思う。
 ラーメンフォークのリニューアル、左利きの皆さんはすぐにお気づきになっただろうか。実際、リニューアル前後で使い勝手はどう変わっただろうか。スガキヤユーザーの方はもちろん、スガキヤに行ったことがないという方も、この機会にラーメンフォークを使ってみてはいかがだろうか(決してスガキヤの回し者ではありません…)。
 

[参考文献・サイト]
 
・スガキヤの先割れスプーンはMoMA美術館が認めた芸術品!その歴史や使い方は?プレジデントオンライン
 
https://jouer-style.jp/10206
 
・スガキヤ、「新ラーメンフォーク」を全店舗で導入初の販売もサカエ経済新聞
 
https://sakae.keizai.biz/headline/594/

 
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第五回 「テーブルマナーと利き手 その3

 
 今回は、日本のテーブルマナーの礎となる箸についてお話ししようと思うが、その前に、前回の西洋のテーブルマナーについて、左利きの幼なじみに実際のところを聞いてみた。彼女は右利きの人と同様、右手にナイフ、左手にフォークを持って食事をするそうだ。最初からそうだったからとくに不便は感じないそうで、料理を口に運ぶフォークは利き手である左手で持っているからむしろ使いやすいとのこと。たしかに、料理を口に運ぶ時、不便なのはむしろ左手でフォークを持つ右利きの方かもしれない。ただ、だからといって左右を持ち替えると、今度は左手でナイフを使えるかどうかという問題が出てくる。筆者もイメージしてみたが、やはり何となく違和感があった。
 
 ナイフとフォークに関しては、両手を使うということもあるからか、そこまで利き手というものを強く意識することはないように思えるが、それを如実に感じられるのはやはり日本の箸の文化だろう。箸は片手で使う上に、器用さも必要だからだ。
 
 日本で箸が使われ始めたのは、諸説あるがおおよそ弥生時代(3世紀頃)だといわれている。最初は食事用ではなく、神様に食べ物をお供えする際に使われていたようだ。食事用に使われるようになったのはその後の飛鳥時代(7世紀頃)で、食事で箸を使うという文化は実は元々日本のものではなく、中国から伝わったとされている。伝来してから1400年ともなると、もはや純然たる日本の文化のようにも思えるが、起源が中国とは少し意外だ。
 
 発祥の国ではないものの、今やアジアの箸を使う文化圏の中で、日本だけが「純粋な箸食の国」であるといわれるほど、箸は日本人の生活に浸透していると言える。食事の際、他のお箸文化圏ではスプーンなどを併用するが、日本では箸だけで食事をする場合がほとんどだ。それどころか、本来カトラリーを使うフランス料理なども、「お箸で食べるフレンチ」などのように、箸で食べることを謳っているお店も日本では少なくない。これも箸が生活に深く入り込んでいる日本ならではの発想だと思う。
 
 日本人は誰もが子供の頃から当たり前のように箸を使っているので忘れがちだが、例えば、外国人観光客が不慣れな手つきで箸を使って食事をする場面などを見ると、箸は本来使うのが難しい道具なのだと気づかされることがある。それゆえに、本来は利き手(使いやすい方の手)で使うのが理にかなっているはずだ。
 ただ、左利きの方の中には、箸を右手で使えるように矯正させられたという方もいらっしゃるだろう。右利きの筆者から見て、今はそのような風潮はなさそうだ(ないと思いたい)が、筆者が利き手について見聞を広める中で、どうしても解せないのはこの部分だ。時代が時代なら当たり前だった、この「右利き然」といった風潮は、どういった考えから来るものなのか。そのあたりも今後切り込んでいければと考えている。
 

[参考文献・サイト]
 
(財)日本ホテル教育センター・編『テーブルマナーの基本』日本ホテル教育センター、2006年 
 
お箸の歴史はいつから?|岩多箸店
https://www.wajimahashi.com/blog/4368
 
特集2 お箸のはなし(1):農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1605/spe2_01.html
 

 
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第四回 「テーブルマナーと利き手 その2

中世ヨーロッパ王侯貴族の食事風景。大皿料理を取り分けて食べるのが一般的だった。

 そもそもテーブルマナーは中世ヨーロッパにおいて始まったとされるが、皆さんは中世ヨーロッパの食事というと、どのようなイメージを持たれるだろうか。どんな場所で食べていたのか、一人で静かに食べていたのか、それとも大勢でにぎやかに食べていたのか。いろいろあるだろうが、掲載した中世の絵のように長いテーブルがあり、料理を囲んで人々がひしめき合っている、これがいわゆる典型的な中世ヨーロッパの食事風景であるようだ。
 
 見たところ、料理は大皿でテーブルの中央にどんと置かれている。現代のように、一人一人の前にカトラリーが並んでいるということはなく、むしろカトラリーらしきものも見当たらないが、当時の人々は一体どのようにして料理を口に運んでいたのか。実は、テーブルマナーの本場であるヨーロッパでも、当初は貴族ですら「手づかみ」で食事をしていたというのである(驚き !)。ただ、手づかみでありながらも、一応マナーのある貴族は全部の指は使わず、親指・人差し指・中指の 3本の指だけを使っていたそうだ(それはマナーといえるのか ?)。
 
 今でこそ、右手にはナイフ、左手にはフォークといった厳密なテーブルマナーが存在するが、手づかみで食事をしていた時代には、おそらく、右や左といった概念はほとんどなかったのではないだろうか。当時の作法書には、以下のように記されている箇所がある。
「隣席の人から離れている方の手で、いつも、食べなければなりません。その人があなたの右側にいるのなら、左手で食べる方が良いでしょう。両方の手で食べることは、止めてもらいたいものです。」
 咎めているのは両手を使って食べることであり、どちらの手を使うかに関しては「隣席の人から離れている方の手」を推奨している。これは右利き左利き関係なくそうすべきということだ。ただでさえ人口密度の高い食卓で、両側に人がいる場合はどうするのだろうという疑問がちらっとよぎったが、要は「隣の人を気遣って食事しなさいよー」ということだと思う。現代のカチッとしたマナーから考えるとずいぶんフレキシブルであるが、本質的には通ずるものがあるだろう。
 
山根一郎「中世ヨーロッパ作法書の作法学的分析 カトーからリヴァまで」椙山女学園大学研究論集、第39号(人文科学篇)、2008、63頁
 
 手づかみで食事をしていた時代、フォークはまだ登場していなかったが、ナイフとスプーンはすでに食卓で使われていた。ただし、ナイフ(食事用というよりは短刀のようなイメージ)は大きな肉などを切り分けるため、スプーンはスープなど水分の多いものをすくうため、いずれも個人で使うものではなく、共用で使われていた。
 そしてフォークが登場するのだが、このフォークがテーブルマナーを劇的に変えたといわれている。 1533年、イタリアの名家・メディチ家の女性がフランス王家へ嫁いだ際、嫁入り道具の食器類の中にあり、そこからフランスに広まったフォーク。手を汚さずに熱いものも食べられるフォークの登場は、画期的を通り越して「革命」であった。
 婚姻の際、メディチ家の女性に付き添ってフランス入りした料理人は、『食事作法の 50則』という世界初のテーブルマナー専門書を著したが、そんな本の必要性を思わせるほど、フランス王家のワイルドすぎるテーブルマナーは衝撃的だったのであろう。
 
 さて、テーブルマナーの起源をたどってみて、現代のかしこまったイメージからあまりにもかけ離れたワイルドさに筆者も驚いたのだが、こういったスタイルは古代の狩猟生活の名残とも考えられるようだ。
 では、農耕生活を送っていた日本では、テーブルマナーはどうだったのだろうか。食事に欠かせない箸はいつごろ、どのように登場したのだろうか。次回はそのあたりに触れてみたいと思う。
 

[参考文献・サイト]
 
ベサニー・パトリック(上原裕美子=訳)『マナーとエチケットの文化史』
財団法人日本ホテル教育センター編『テーブルマナーの基本』 
山根一郎「中世ヨーロッパ作法書の作法学的分析1 ―カトーからリヴァまで―」椙山女学園大学研究論集、第39号(人文科学篇)、2008
https://shinryourimonogatari.com/the-medieval-european-table/#i-11
中世ヨーロッパの食卓|貴族や庶民の食事/なんと手づかみで食べていた!そのテーブルマナーは?
https://www.craft-store.jp/features/reason-why-swelling-wine-glass
意外に知らないカトラリーの歴史/スプーン、フォーク、ナイフ
https://icpa-in.com/ja/the-history-of-western-table-etiquette-from-the-ground-up/
国際プロトコール学習:西洋のテーブルマナーの歴史を一から学ぶ
https://www.youshokki.com/カトラリー検定/テーブルマナー/カトラリーの歴史はマナーの歴史/
カトラリーの歴史はマナーの歴史

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第三回 「テーブルマナーと利き手 その1

 先日、テレビであるトーク番組を観ていたところ、出演者3人のうち2人が偶然にも左利きだったため、しばし「左利きあるある」で盛り上がっていた。それによると、横並びのカウンター席に着く際、左利きの人はいちばん左に座りたがるといい、理由としては右利きの人と隣り合うとひじがぶつかってしまうからだそうだ。たしかに、右利きからしても、左利きの人が右側に座っていたら、ぶつからないように気を遣うかもしれないし、左利きの人はおそらくそれ以上に気を遣うのだろう。
 
 この、隣の人を気遣うという点に関して言えば、「テーブルマナー」にも利き手は大いに関係してくるように思う。テーブルマナーというと、フォークやナイフがずらりと並ぶような食事の席で、堅苦しい、かしこまった印象が強い。服装や立ち居振る舞い、カトラリーの使い方や所作にまで細かな決まりがあって、それこそ指の先まで神経をとがらせなければいけないような緊張感が漂う。
 一挙手一投足に注目が集まりそうな張りつめた空気の中で、さも当たり前のように右利き仕様に並べられたカトラリーを、左利きの人はどのように使うのだろうか。右利きの場合は通常、右側にナイフ、左側にフォークが並べられている通りに手に取り、そのまま使う。お肉を切るときなどは少し力がいるから、利き手でナイフを持つほうが理にかなっているということらしい。となると、左利きの人はナイフを左手に持ち替えることになるが、これはマナー的にはどうなのだろうか。調べてみたところ、テーブルマナー発祥のヨーロッパでは、とくにフォーマルな席の場合、基本的に持ち替えることはしないようだ。
 
 そもそも、日本のテーブルマナーはヨーロッパ式に則っているため(イギリス式とフランス式の混在型)、持ち替える、持ち替えない、は左利きの人の間でも分かれるかもしれない。ただ、持ち替えることが明確にマナー違反だとしたら酷な話だ。仮にマナーに反すると言われたところで、不慣れな逆の手ではカトラリーをうまく使えないかもしれず、ともすれば大きな音を立てたり、落としてしまったりという可能性もなくはない。そうなれば本当のマナー違反になってしまう……。そのため、昨今では持ち替えOKという風潮が一般的であるようだ(ぜひともそうであってほしい)。
 
 ちなみに、自身でセッティングそのものを逆に変えることはマナー違反になるようだが、例えばあらかじめお店に伝えてセッティングを逆にしておいてもらうことなどは可能なのだろうか。最初から使いやすいセッティングなら、余計なことは考えずに食事を楽しめる気がするが、左利きの皆さんの中で、お店に要望を伝えた等の経験をお持ちの方はいらっしゃるだろうか。
 
 ともあれ、おいしそうな料理を前にしては、マナーを無視してすぐにでもお肉にかぶりつきたくなるが(ちなみにこれは最悪のマナー違反)、実はこの野性的(?)な感覚も、テーブルマナーの歴史をひも解けば案外はずれてはいないようである。次回は、そのあたりのお話ができればと考えている。
 

[参考サイト]
 
ナイフの左利きマナー|どっち?を元ウェイターが解説【右手だけじゃない】
https://himeji-tabippo.com/lefthand-manner/
フォークの持ち替えは禁止!?『イギリス』の食事マナーはフランスとはまるで別モノだった!
https://news.line.me/detail/oa-olihito-news/09377728b600
服装(ドレスコード)、入退店時の注意点からナイフやフォークの使い方まで。洋食のテーブルマナーをおさらいしよう
https://haraheri.net/article/985/western_table_manners#toc-113
きれいな所作を心がけて!  料理別、基本的な“美しい”食べ方!
https://safarilounge.jp/online/lifestyle/column/detail.php?id=8319&p=10

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第二回 「両手を使う動作の話

 
 利き手というのは、何か動作をする時に器用さなどが優れているほうの手を指す。例えば、文字を書く、お箸を使う、などが利き手を判断するにあたって代表的な動作になるだろうか。ただ、日常生活の中で、左利きは左手ばかりを、右利きは右手ばかりを使っているわけではない。むしろ、両手を使う動作が意外に多い。例えば、パソコンやスマートフォンの操作、楽器の演奏、より身近なところでは、靴ひもを結ぶ、ペットボトル等のふたを開ける、食器を洗う、ドライヤーで髪を乾かす、など挙げればキリがない。パソコンの操作や楽器の演奏などは、訓練や慣れによるところも大きいが、日常生活におけるそれは、いわゆる「ちょっとした動作」であり、私たちはより無意識的に利き手とは逆の手を使っているのである。
 
 両手を使う動作の場合、右利きであれば、主たる動作は利き手である右手で行い、補助的な動作は利き手と逆の左手で行うことが多いだろう。ただ、主たる手が逆になることもしばしばあるのではないかと思う。例えば、先述したドライヤーで髪を乾かす時。右利きの場合、ドライヤーを持つのはたいてい右手だろうが、左手で持つという人も中にはいるだろう。(おそらく、文字を書く時より確率は上がると思う。)あるいは、右側を乾かす時は右手に持ち、左側を乾かす時は左手で持つというフレキシブルなタイプの人もいるだろう。現に、筆者の家族はそのタイプである。
 
 また、先日SNSを見ていて、ペットボトルのふたを開ける時、右利きでも左手で開けるという人が意外に多くて驚いた。しかも、「それが普通だと思っていた」という意見がちらほらあり、人に指摘されて初めて自覚した人もいるようだ。そういえば、筆者はどうしているだろうと思い返してみたところ、ふたを開ける手は状況に応じて左右を使い分けていることに気づいた。(最初に開ける時は力を入れたいので利き手である右手で開け、右手で持ってスムーズに飲みたい時は左手で開けるなど。)
 これは、両手を使う動作であるため、仮に左右を逆にしても、まったくできなくなるということはない。先ほどのドライヤーにしてもそうだが、両手を使う場合、右利きでいう左手、左利きでいう右手のように、逆の手が「劣っている」という消極的な意味合いはなくなるのではないか。むしろ、どちらもが積極的にそれぞれの役割を担っているように思えるのである。
 
 日常生活におけるさまざまな動作は、ほとんど無意識的に行っていることが多い。けれど、「あれ?そういえばこの動作の時はどっちの手を利き手にしているんだっけ?」と少し意識的に考えてみるのも面白いと思った。両手を使う動作において、場合によっては利き手なんてあってないようなものだなと感じたのだが、これは右利きゆえの妄言(?)だろうか。左利きの皆さんはどう思われるのか、非常に気になるところである。
 

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第一回 「新たな視点」

 

はじめに紹介しておくと、筆者はなぜかダーツだけは左投げの右利きである。血縁では母方の祖父が唯一両利きであり、右手で字を書いて左手で消しゴムを使っていたのをよく覚えている。
 
血縁以外の身近なところでは幼なじみが左利きだった。田舎の小学校で、1クラス20人余りのうち、左利きだったのは幼なじみの彼女を含めてたった二人だけ。一般的に、左利きは全人口の10%といわれているそうなので、まさにそれを地で行く割合であるが、人数を鮮明に覚えていること自体、左利きがいかに際立った存在であったかがよくわかる。
 
小学生の頃はただ漠然と「左利きってかっこいい!」と思っていた。この「かっこいい」というイメージはどうやら、筆者のみならず、右利きの人の多くが左利きの人に対して持つものらしい。彼女が左手でスラスラ文字を書く姿はとても器用に見えたし、差し向かいで勉強していたときなどは、自分の勉強そっちのけでじっと見入っていた記憶がある。彼女にとっては至って普通のことだったはずだが、その姿に触発されて、ひそかに左手で字を書く練習をしたこともあった。彼女はまた運動神経がよかったので、ボールを投げたりするのも抜群に上手かった。もちろん、同じように器用な子はほかにもいたけれど、彼女は左利きであるがゆえに特別だったのだ。
 
今思えば、それは少数派への無邪気な憧れのようなものだったかもしれず、左利きであることで生じる不便さなどにはまったく思い至らなかった。それは当時だけではない。何かきっかけでもない限り、利き手について思いを巡らせることなどそうそうないだろう。自分は右利きで、何の不自由もなく、何の疑問も持たずに日常生活を送れているのだから。
 
今回このお話をいただいたとき、右利きである筆者が、利き手について何か語れることはあるのだろうか、と考えあぐねた。それと同時に、今までそのような視点から身の回りを見たことがなかったことに気づいて愕然とした。
 
例えば、駅の自動改札の多くは読み取り部が右側にあり、左利きの人には通りづらい仕様になっている。スポーツでは左利きの人は重宝がられる傾向にあるが、必要な道具は選択肢が少なかったり、右利きのものより高額だったり、あるいは練習場所が限られたりすることもある。シャツのボタンの位置や腕時計はどうだろう。挙げればキリがないが、世の中は当たり前のように右利き仕様になっていて、左利きの人はそれゆえに大小さまざまな不便を日々感じているのである。それらを実感として捉えることは難しいかもしれないが、右利きならではの視点から「利き手」にまつわるさまざまな事象について、これから考えていければと思っている。
 

[参考文献]
『左利きあるある 右利きないない』 左来人・著
『新版 自然界における左と右 上』 マーティン・ガードナー・著/坪井忠二 藤井昭彦 小島弘・訳
『左ききのトリセツ』 實吉達郎・著

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[垣貫由衣さんのプロフィール]
滋賀県出身。現在は愛知県豊橋市在住。出版社に勤務した後、2012年よりフリーライターとして活動。おもに校正、リライト·取材執筆など。飲食店、経営者など取材件数は350以上。雑誌、書籍、ガイドブック、ウェブなど50以上の媒体に携わる。とにかく、読むこと、書くことが好きで、ひそかに小品や短編を書き溜めている。趣味は読書、野球観戦、ゴルフ。
 


 
 

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