※第一回〜第十一回は第十二回に続いて掲載しています。
 

第十二回 「クロスドミナンス その2

 
 前回の記事は、ありがたいことにたくさんの方にお読みいただけたようだ。いただいたコメントも興味深く拝見したが、無意識にでも意識的にでも、用途や動作によって左右を使い分けている方が多いのかなという印象だった。
 
 さて今回は、予告通り、クロスドミナンスを戦略的に採用している事例について見ていこうと思う。
 
 具体的な事例について、一切の前情報なしにパッと思いついたのは、大谷翔平選手やイチロー選手のような右利きの左打者である(野球好きなもので、度々すみません)。以前、スポーツの回(第9回参照)でも触れたが、右手は左脳が、左手は右脳がそれぞれの動きを司っているため、使う手によって脳のスイッチが切り替わり、どちらか一方の手のみを使うよりも脳がバランスよく活性化すると言えるだろう。それが、結果的にパフォーマンスの向上につながっているのではないだろうか。
 ちなみに、右打ちの大打者である巨人・坂本勇人選手は実は左利きである。右打ちは引き手となる左手のコントロールが重要となる。そのため、普段左手を使い慣れている坂本選手にとっては実はとても有利なのだ。
 
 もう一つ挙げたい事例としては「将棋」がある。ずっとやってみたいと思いながら、ついぞ今日まで将棋を全く知らずにきた筆者にとって、将棋とは主に左脳を使って論理的に考えるものというイメージが強かったのだが、実はそうではなく、空間認知や先を読むイメージを司る右脳が大事なのだそうだ。であれば単純に、普段左手を使う左利きの方が、右脳が活性化されるため有利なのでは……?とも考えたが、有利か不利かはともかくとして、将棋の世界でも右利きと左利きで戦法に違いがあるようだ。
 数ある戦法を大きく分類する際、まずは攻撃の要となる「飛車」をどのように使うかがポイントとなる。飛車を定位置である右側に置いたまま戦うことを「居飛車」、それに対して、飛車の位置を左側へ展開して戦うことを「振り飛車」といい、右利きの多くは居飛車、左利きの多くは振り飛車であるようだ。
 左利きの棋士である鈴木大介九段が言うには、それぞれ戦うスタイルが異なり、居飛車は一手ずつ積み重ねて読み、振り飛車は10~20手先を読んで最終的な駒組みをしていくという傾向があるそうだ。筆者の勝手なイメージだが、いわゆる「右利き=左脳を使う=論理的」、「左利き=右脳を使う=感覚的」というざっくりとした図式にあてはまりそうで面白いと思った。
 
 このように考えると、将棋は少し特殊で、直接的に左手を使うからどうとかいうよりは「脳のクロスドミナンス」と言えるかもしれない。普段左利きの人は右脳を使うため有利と言えるだろうが、右利きの人も練習や実際の対局を重ねるうちに、盤面を頭の中でイメージする右脳の働きがどんどん活発になるのではないだろうか。
 ちなみに、快進撃を続ける藤井聡太竜王は右利きなのだが、AIを使って様々な棋譜をパターン認識する練習をするのだそうだ。こういった右脳を鍛えるトレーニングを繰り返すことで、藤井竜王などは何十手も先の局面をイメージできるようになるのだろう。これも一種の戦略的なクロスドミナンスと言えるのではないだろうか。
 

[参考文献・サイト]
 
・大路直哉『左利きの言い分』(PHP新書1367)、PHP研究所、2023
・集英社オンライン「大谷翔平選手の脅威のパフォーマンスの要因の一つは両利き使いによる脳の切り替え!?両利き人間がこれからの時代を背負っていくって本当?」2023514日公開
 https://shueisha.online/healthcare/129258
NEWSポストセブン「絶好調の坂本勇人 『左利きの右打者』ゆえの卓越した打撃術」2019520日公開
 https://www.news-postseven.com/archives/20190520_1374004.html?DETAIL#google_vignette
NEWSポストセブン「左利きの鈴木大介九段 『将棋の世界で左利きと右利きで戦い方は異なる』」202223日公開
 https://www.news-postseven.com/archives/20220203_1723357.html?DETAIL
文春オンライン「『飛車を振るとさばけないので』絶対に飛車を振らない天才・藤井聡太の師匠が振り飛車党になったわけ」2023625日公開
 https://www.news-postseven.com/archives/20220203_1723357.html?DETAIL
集英社オンライン「藤井聡太も実践。若手棋士の実力アップの秘密は右脳にあった!」202276日公開
 https://shueisha.online/articles/-/29584?page=3
ワークコンディショニング ティップス「将棋が育てる、子どもの『能力』」2022615日公開
 https://workconditioninglab.com/shogi-children/

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第十一回 「クロスドミナンス その1

  
 皆さんは、「クロスドミナンス」という言葉をご存知だろうか。この質問、とくに左利きの方には愚問であるかもしれない。筆者がこの言葉を知ったのは、またもやお恥ずかしながらこの執筆の機会をいただいてからであるが、実は21世紀に入ってから徐々に使われるようになった用語なのだそうだ。
 
 何だか漠然と響きがかっこいい「クロスドミナンス」だが、英語で「cross(交差)-dominance(優位)」という意味で、日本語では「交差利き」などと翻訳されるようだ。これは例えば、箸は左手で持つが、字を書くのは右手、といったように、用途や動作によって使用する手が異なることをいう。一つの動作に対して、左右どちらの手も使える「両利き」とはまた違うらしい。
 
 最初に、クロスドミナンスを知っているかどうかという質問は愚問かもしれないと言ったのは、クロスドミナンスは左利きの人に多いと言われているからだ。そこには、とくに箸や鉛筆を右利きに矯正された人が多いという背景がある。それのみならず、日常生活における様々な動作において、右利きの人はほとんど無意識に右手を選択することが多いように思うが、左利きの人は左手のみでなく、右手を選択する場面がけっこうあるのではないかと想像する。
 右利きにとっては右利き仕様の社会であるから、無意識に右手を使ったとしてとくに不便を感じることはない。しかし、左利きの人にとっては、例えば「改札クロス」など、もはや右手の方がスムーズなのではと思わざるを得ないような場面が、おそらくたくさんあるのではないだろうか。そしてそういった場面に遭遇し、否応なしに利き手とは逆の右手を使うという選択肢が出てくることもあるかもしれない。中には積極的に右手を選択する場合(例えば、習字がもっとうまくなりたい等)もあるだろうが、やはり多いのは前者ではないかと思う。
 
 筆者の左利きの幼なじみが言うには、「改札クロス」は「もう慣れた」し、右利き用のはさみも左手で使いこなせるようになったけれど、先日仕事で缶切りを使った時にはとても時間がかかり、最後には右手でやり始めたということだ。何とかできたそうだが、回し方が逆になるから頭が混乱したとのこと。左利きとして何十年と生きてきても、こういったことが日常的に起こりうるのだとハッとさせられる話だ。
 
 しかしこういった場面で、左利きの人の頭の中はどうなっているのだろうと考えると、あくまで筆者の勝手なイメージだが、きっとフル回転でクリエイティブな思考回路になっているのではないかと思う。手の動きは、左手は右脳が、右手は左脳が司るとされているため、クロスドミナンス(あるいは左利き)の人の脳は左右がバランスよく活性化していると言えるのではないだろうか(利き手と脳の関係については改めて書こうと思っているので、現時点ではあくまでイメージのみで……ごめんなさい)。
 
 だとすると、左利きの人はあえて右手を、右利きの人はあえて左手を、といった具合に、戦略的にクロスドミナンスを採用するシチュエーションがあるのではないかと思う。とくに、芸術、文化、スポーツといった創造性が求められる世界ではそれが顕著なのではないだろうか。次回は、クロスドミナンスを戦略的に採用している事例について考えていきたいと思う。
 

[参考文献・サイト]
 
・大路直哉『左利きの言い分』(PHP新書1367)、PHP研究所、2023
・コクリコ「行動で利き手を使い分ける『クロスドミナンス』を脳内科医がすすめる理由とは?」2022615日公開
 https://cocreco.kodansha.co.jp/cocreco/general/health/nBkeU
・そよ吹く風の如く「交差利き 注目 自分の利き手知ってる?クロスドミナンスと遺伝要素」2019714日公開
 https://soyofukukaze.com/kousakiki-cyumoku/
・シュフーズ「クロスドミナンスの人の脳は特別?両利きとの違いは何?」
 https://shufuse.com/98031

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第十回 「スポーツにおける左利き その2

  
 前回の末尾で、左利きが有利とはいえないスポーツの筆頭としてゴルフを挙げ、そこには選手個々の能力以前の事情があるようだと書いたが、この「事情」は、ゴルフを始めてまだ2年ほどと歴の浅い筆者でも十分に実感できることである。それは、プロ、アマチュアいずれも左利きのゴルファー(レフティと言う)が極端に少ないということだ。
 
 実際にゴルフを始めるにあたり、筆者はダーツが左投げということもあったので左打ちも検討したのだが、練習場のスタッフさんに「左は選べるクラブの種類が少ないし、練習場の打席も数が限られるので、できるなら右打ちのほうがいいですよ」と勧められたため、右打ちに決めた。
 たしかに、販売されているゴルフクラブは圧倒的に右打ちのものが多く、左打ちは選択肢が限られる。また、例えば仲間と貸し借りをする場合や試打をする場合なども、左打ちでは不便を感じるだろう。道具を選ぶこともスポーツの楽しみの一つと考えると、選択肢が少ないのは何とも残念な気持ちになってしまう。
 また、打席の数に関しては、普段よく行く練習場を見てみても、1·2階合わせて60打席ほどあるうち、左打席はわずか4席しかない。しかも、完全な左打席ではなく、右打席仕様の左側にマットとティーが置かれた簡易なものだ。さらに、右打席は機械式で自動的にボールがせり上がるシステムだが、左打席は1球ずつ自分でボールを置かなければならない。これはあくまで筆者の通う練習場の場合であるが、右打席と左打席の割合は、他の練習場もそう大きく変わらないのではないかと思う。
 
 つまりは、道具の選択肢や練習環境が限られる、他にも書籍や動画を参考にしようにも大抵は右打ちで説明されているため、一旦脳内で左打ちに変換しなければならない、など能力以前の事情がレフティを取り巻いているのである。このような事情を鑑みると、右打ちの方がよさそうだと思わざるを得ないのではないだろうか。普段左利きであっても、ゴルフの時は右打ちに変更するというゴルファーが多いようだが、それも何となくわかる気がするのだ(野球とは逆の現象)。
 
 以上は、レフティを取り巻く能力以前の事情であるが、ではレフティは能力的にはどうなのだろうか。よく言われるのは、野球経験者で左打ちの人は、ゴルフでも左打ちの方が違和感なくクラブが振れて上達も早いということだ。たしかに、野球とゴルフではスイングの感覚が似ているため、経験者は有利といえるだろう(プロ野球選手でゴルフがうまい人が多いのも納得できる)。ただ、そのようなことがなければ特段左打ちが有利ということはなく、また逆に左打ちだからといって不利ということもないようである。能力的には右打ちとスタートラインは同じで、その後の上達具合はプレーヤー各々の努力次第といったところだろうか(要は練習あるのみ!)。
 
 ゴルフを始めてから、テレビでプロのツアーなども観戦するようになったが、昨夏、たまたま観ていた全英オープンで、レフティのブライアン·ハーマン選手が優勝したのは感動的だった。この大会でのレフティの優勝者は、ハーマンが史上3人目だそうだ。この数字を見れば、レフティがツアーを制することの稀少さを思わずにはいられないだろう。そういった意味では、レフティの選手は注目度が高いため、とくにプロの選手にとってはメリットと言えるかもしれない。
 とはいえ、先述した通り、右打ちと左打ちで能力的な優劣はほとんどないため、上達するにはやはり練習あるのみ。と、まだアマチュアにもなりきれない筆者が言うのも何だが
 

[参考文献・サイト]
 
・ジェームス・ブリス、ジョセフ・モレラ=著/草壁焔太=訳『左利きの本 ――右利き社会への挑戦状』、1980年
・飛衛門「ゴルフは左打ちじゃない方が良い?レフティのメリットとデメリット」202193日公開
 https://tobiemon.jp/ゴルフは左打ちじゃない方が良い?レフティのメ/
AKI BLOG「左打ちゴルファーが知っておくべきメリットとデメリット【ゴルフ】」2023111日公開
 https://golf-notice.com/golf-lefty/
・ゴルフダイジェスト·オンライン「170㎝レフティのハーマンがメジャー初優勝 松山英樹13位」2023724日公開
 https://news.golfdigest.co.jp/pga/7739/article/158629/5/
・ゴルフ総合サイトALBA Net「史上3人目のレフティ王者誕生で幕を閉じた今年の全英 記録で振り返る」2023724日公開
 https://www.alba.co.jp/articles/category/tour/pga/post/7c2451olz/

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第九回 「スポーツにおける左利き その1

  
 このところ、MLBの大谷翔平選手がプロスポーツ史上最高額でエンゼルスからドジャースへ移籍したというニュースで連日もちきりであったが、そういえば、この連載以前から、筆者には毎日のように右や左を気にする関心事があったことを思い出した。野球である。シーズン中は毎日のように野球中継を観ているが、「今日の先発はサウスポー(左投げ)の誰それだから中軸の中でも右打者の誰それが有利だな」とか、継投の際には、「次は左打ちの誰それだから左投げのピッチャーに代えたのか」などといった具合に、その選手が右打ち(右投げ)なのか左打ち(左投げ)なのか、というのは勝敗を大きく左右する要因の一つであるといえる(ここで左右とか言うとややこしい)。
 
 実は、「対戦型競技」の世界では、左利きは非常に有利であり、普段は右利きでも競技の際は左に変更するという選手も決して少なくはない。野球の歴史を振り返ってみても、名だたる強打者には左打ちが多い。野球の神様ベーブ・ルースから始まり、王貞治選手やイチロー選手、先述した大谷選手など、野球を知らない人でも知っているような有名選手も、その多くが左打ちだ。しかしイチロー選手や大谷選手は「右投げ左打ち」つまり、元々は右利きなのである。元々左利きであるならいざ知らず、なぜ、利き手を変更してまで左打ちにこだわるのか。例えば、左打席に立つと1塁ベースが近くなる、利き目が右目の場合、投手側に利き目がくるので選球眼がよくなる(三振しにくい)、など、一般的に様々な理由があるようだ。さらに、一つには、利き手でない方の手を使って脳の働きが活発になることで、よりよいパフォーマンスにつながるのでは、との見方もあるようだ。筆者は歯を磨く時に利き手ではない左手をよく使うが、たったそれだけでも脳がいつもと違う感じになる気がする(すごいぼんやりした表現)。プロのアスリートはそういったものを極限まで高め、普段眠っている潜在能力をも引き出すところまでもっていけるのだろう。
 
 野球ほどではないかもしれないが、左利きが有利に働くスポーツは他にもある。今年9月から10月にかけて行われたバレーボールワールドカップで、日本男子チームが銅メダルを獲得し、パリ五輪の切符を自力でつかんだ快挙は記憶に新しいと思う。バレーボールではライト側からスパイクを打つ際は、左利きの方が有利だ。身体を開く方からトスが上がるため、視野角が広くなり、ボールにミートしやすいという。また、右利きの選手が打つスパイクとはボールの軌道が異なるため、対戦相手はレシーブがしにくくなるようだ。これは他の競技でも言えることだろうが、左利きの選手との対戦では、思わぬところから攻撃が仕掛けられるため、対応が難しいのだ。
 
 バレーボールと同様に、サッカーでは、左サイドでは左利きの選手の方が有利だといえる。サッカーで右利き、左利きというのは「利き足」を指すらしい。左利きの選手は「レフティ」と呼ばれ、例えば、ゴール前で左サイドからクロスを上げる際は左足が利き足のレフティの方が有利だという。レフティの代表格としてはリオネル・メッシ選手が挙げられるが、殊、ドリブルがレフティならではの独特なリズムで、相手選手は翻弄されるようである。
 
 一方で、左利きが有利とはいえないスポーツもある。代表例としてゴルフが挙げられるが、その背景には選手個々の能力以前の事情があるようだ。それについてはまた次回、詳しく掘り下げてみたいと思う。
 

[参考文献・サイト]
 
・大路直哉『左利きの言い分』(PHP新書1367)、PHP研究所、2023
・ベースボール専門メディア フルカウント「イチロー、松井秀喜、大谷翔平右投げ左打ちが多い理由 『一塁に近い』以外の利点も」202238日公開
 https://lefthandedlife.net/hippou.html
・集英社オンライン「大谷翔平選手の脅威のパフォーマンスの要因の一つは両利き使いによる脳の切り替え!?両利き人間がこれからの時代を背負っていくって本当?」2023514日公開
 https://shueisha.online/healthcare/129258
・volleyball-progress.com「バレーのライト打ち、右利きと左利きどっちが有利?」20211110日公開
 https://www.volleyball-progress.com/spike/post-477
・スポスルマガジン「【サッカー】左利きが有利な理由とは?メリットや割合についても解説」2023821日公開
 https://sposuru.com/contents/sports-quest/soccer-left-footed/

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第八回 「書くことと利き手のお話

 
 
 前回は、右利きへの矯正のルーツ(とくに箸を使うこと)についてお話ししたが、多くの方にお読みいただけたようでありがたい。中には感想をくださった方、私はこうだったよ、と教えてくださった方などもいて嬉しい限りだ。
 今回は、箸を使うことと同様、利き手を決定づける(と言っても過言ではない)動作の代表格である「書くこと」について少し掘り下げてみようと思う。
 
 前回、親戚の女性が、書く時だけは右利きに矯正させられたというお話をしたが、箸と同様、筆記具も右手で使うべきという考えはいまだに根強いらしい。矯正に向かわせる理由の一つとして、そもそも、文字そのものが右手で書きやすいように作られたものであるという事情がある。筆者は職業柄、大人になってからも字を書く機会は多いが、大変恥ずかしながら、このことを知らずに今日まできてしまった。右利きであるがゆえに不便を感じなかったし、左手で書きにくい文字があるなんて想像もできなかったのだ。
 しかし考えてみればたしかにそうだ。例えば、「あ」や「の」といった時計回りに筆を運ぶ文字は、左手では明らかに書きにくい。また、「か」や「た」など、漢字のへんとつくりのように左右が分かれて成り立っているような文字は、左側から右側への運筆の際に手元が見づらく、バランスが取りにくいように感じる。画数の少ない平仮名でこれだから、漢字だとさらに難しくなるだろう。たったこれだけでも、文字がいかに右手で書くことに照準を合わせて作られたかがよくわかる気がする。
 
 さらに、この不便さをより感じるのが「書道」なのだそうだ。書道の場合、まず一字一字を大きく書くことで動作そのものがダイナミックになること、それぞれの文字の特徴(例えば、はねやはらいなど)が際立つことによって、左利きの場合は書きづらさが強調されてしまう可能性が多分にあるのではないかと思う。
 
 こちらの左利き協会のサイトでも「左利き筆法」について紹介されているが、それによると、まず毛筆では、左手で書く時も右手で書く時と同じような角度で筆を傾けて運筆しないとそもそも文字がかすれてしまうという(そのような面もあるのかと驚いた)。左手で文字がかすれないように書くには、例えば筆の持ち方や傾け方、半紙の置き方など、ちょっとした工夫で書きやすくなるようだが、これは目から鱗だった。こういったことを知っていれば、左手での書道のハードルも少し下がるかもしれないと思った。
 
 昨今では、授業や習い事で書道を習う際、左利きの子供に右手で書くように強制するのではなく、どちらで書きたいか子供の意向を尊重するところも増えているようだ(とはいえ、書道だけは右で、と考える教育者もまだまだいるようだが)。仮に右手で書くことを選んだとして、最初は書きづらくてもそのうち慣れれば苦ではなくなるのかもしれない。ただ、右手での書道と同様、左手での書道もそのメソッドが確立していればどちらも選択しやすいし、もし「左利きだから」と書道に対して苦手意識を持っていたとしたら、それが薄れることにもつながるだろう。もっと言えば、左利きの人にとって書きやすい文字があればなおよい。
 
 慣れない毛筆を使う点から考えると、右利きも左利きもそもそものスタートラインは同じであろう。文字が右手で書きやすいように作られていることなどから、右手で書くことを推奨するスタンスも全くわからないわけではない。ただ、左手で書きたい(左手で書くしかない)という人のために、どうすれば左手でも無理なく書けるか、そちらの可能性を追求するのも大事なことだと思うのだ。
 

[参考文献・サイト]
 
・大路直哉『左利きの言い分』(PHP新書1367)、PHP研究所、2023
・日本左利き協会「左利き筆法」
 https://lefthandedlife.net/hippou.html
・習い事スクスク「左利きの子どもは右利きに矯正しないとダメ?書道教室に聞いてみた」20211021日公開
 https://sp-sukusuku.jp/article/6040040002-2/
・中日新聞「左利き直される書写が苦痛 書きたい手でのびのびと」202367日公開
 https://www.chunichi.co.jp/article/704931

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第七回 「右利きへの矯正、そのルーツとは

 
 
 閑話休題。前々回の末尾で少し触れたが、左利きの方の中には、箸や鉛筆を右手で使えるように矯正させられたという方もいらっしゃるだろう。
身近なところでは、先日、法事の会食で隣り合った親戚の女性が左利きだった。よく知る間柄にもかかわらず、その席で改めて気づくという体たらくだが、聞くと、書く時だけは右利きに矯正し(させられ)、その他の動作はほとんど左手で行うそうだ。
 たいていは子供の頃に矯正させられるものと思うが、本人は左手の方が使いやすいのだから、矯正は親(養育者)や教育者の考えに基づくものであろう。中には、頑なに右利きでなければいけないと考える大人もいるようだ。日本において昔からあるこのような考え方は、いったいどこから来ているのだろうか。
 
 《子が自分で物を食うことができるようになったら、右手で事をするように教え…》
 
 これは、中国前漢時代に儒教の礼節についてまとめられた『礼記』(らいき)の現代語訳からの抜粋である。『礼記』は、日本において「礼儀作法の原点」として広まった。箸が元々中国のものであったように、礼節についても日本は中国から多大な影響を受けているようだ。「礼儀作法の原点」がこんなにあからさまに利き手を断じてよいものか、と今なら思ってしまうが、影響力は相当なものだったようである。
 
 例えば、江戸時代中期の医者である香月牛山(かつきぎゅうざん)が著した『小児必用養育草』(しょうにひつようそだてぐさ)という書物。これは日本初の育児書とされているが、その中に、左利きの子供に関する次のような記述がある。
 
 《児子によりて、左の手の利きたる生まれつきもあり、必ず箸を左の手にて取るものなり。これもいとけなき時より、しいて右に取る事を教うれば、余の技はみな左を用うれども、箸ばかりは右に取るものなり。》
つまりは、生まれつき左手がよく利き、左手で箸を取ろうとする子供にも、右手で使うように躾ければ、ほかのことは左手を使っても箸だけは右手で使うようになる、ということである。『礼記』が直接引用されている箇所もあり、上記のような記述の拠りどころになっているといえるだろう。
 
 また、江戸時代から時を経て1949年に刊行された『新しい女子の礼法』という書籍には、『礼記』の一節を引いた次のような記述がある。
 
 《『禮記』に『子能く食へば右の手を以ふる事を教ふ』(内則)とあるように、箸は右手で持つべきものとされている。左利きも、箸だけは右手で持つように、習慣をつけたい。元來和食はすべてが、右手に箸をとることをたて前としている。》
 
 『礼記』よりは左利きに寛容であるものの、「箸だけは右手で持つように」と強めに推奨している。また続けて、「元來和食はすべてが、右手に箸をとることをたて前としている」と、いわゆる和食のテーブルマナーにおける利き手のあり方について言及している。「和食はすべてが」と断じて、左利きへの配慮が一切ない点にはもはやある種の凄みすら感じてしまう。
 
 日本における「右利き然」という風潮は、中国から伝わった儒教の教えにそのルーツがあるようだ。こういった考え方が、各時代において幅広く、さらに時代を超えて共有されてきたとしたら、日本初の育児書が刊行された江戸時代から400有余年を経た現代に息づいていたとしても、不思議ではないのかもしれない。ただ、宗教のようないわば強い必然性というものがない中で、長い年月を経て受け継がれてきたことを考えると、筆者は少し驚いてしまうのだが、左利きの皆さんはどのようにお考えになるだろうか。
 

[参考文献・サイト]
 
・『礼記(中)』(新釈漢文大系 第28巻)明治書院、1977
・山住正己、中江和恵編注『子育ての書 1』(東洋文庫285)、平凡社、1976
・川島次郎『新しい女子の礼法』弘道館、1949
・大路直哉『左利きの言い分』(PHP新書1367)、PHP研究所、2023

 
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第六回 「愛知県民のソウルフードにまつわるお話

 
 今回はカトラリーつながりで少し脱線して、愛知県民のソウルフードについてお話をしようと思う。
 
 筆者は結婚を機に滋賀県から愛知県(東三河)へ移り住んだのだが、言葉や文化の違いに驚いた。中でも、愛知には独特の食文化があり、同じ愛知でも尾張と三河では全く違うのだ。例えば、「名古屋めし」の一つである味噌カツ。筆者は有名チェーンの「矢場とん」が好きで時々食べたくなるのだが、矢場とんは名古屋以東は岡崎までしか展開しておらず、思い立ったところでそう簡単には食べられない。その他、ひつまぶしや、味噌煮込みうどん等の有名店も、やはり名古屋が中心だ。しかし、そんな中にあって、尾張も三河も関係なく出店しているのが、愛知県民のソウルフードといっても過言ではないラーメンチェーン「スガキヤ」である。
 実は、筆者にとってもスガキヤは、子供の頃から馴染み深い店だった。というのも、滋賀といえば、のスーパー「平和堂」のフードコートに、必ずといってよいほど入っていたからだ。当時は平和堂自体の数が少なく、そうそう行けるものではなかったから、何となく特別感があった。大人になってからも無性にスガキヤを欲するタイミングがあり、何だかんだ定期的に通っていた気がする。そして満を持して(?)スガキヤ発祥の地に根を下ろすことになったのだが、夫は根っからの愛知県民なので、筆者以上にスガキヤ欲する率(何それ)が高かった。実際に行くのは最低でも月に1〜2回で、打診があるうちの何回かは筆者が却下している。店内でラーメンをすすりながら、「ついこの間来た気がするねんけど……?」「そんなことないよ。気のせいじゃない?」と、どう考えても高い頻度をうやむやにされるまでがデフォルトになっている。
 
 そんなスガキヤ(どんなスガキヤ?)を、スガキヤたらしめるものといえば、独特のスープと「ラーメンフォーク」であろう。皆さんはスガキヤのラーメンフォークをご存知だろうか。初見の方は、なんじゃこりゃと驚かれるかもしれないが、スプーンのようなフォークのような独特のフォルムのカトラリーである。そのデザイン性の高さから、ニューヨーク近代美術館でも販売されているというから驚きなのだが、現状のラーメンフォークは、実は今から16年前の2007年にリニューアルされたものなのだ。
 

※新旧の先割れスプーンが紹介されている動画です!
 
 そもそも、ラーメンフォーク誕生の背景には、創業者の「大量に廃棄される割り箸がもったいない」との思いがあったようだ。1978年に初めて登場した時には、フォークとなる歯の部分は3本で右寄りに作られていたが、環境保護への思いとは裏腹に、箸の代替物としてはなかなか定着しなかったようである。
 2007年のリニューアルでは、歯を3本から4本にして長くするなど、全部で5点の改良が加えられたようだが、注目すべきは歯の位置を右寄りから中央に変更して、左利きの人にも使いやすいデザインになった点であろう。従来のデザインは右利き用で、左利きの人には使いにくいものだったため、ユニバーサルデザインを取り入れたこの改良は、とても意義深いものであると思う。
 しかしながら実を言うと、筆者はこのラーメンフォークをほぼレンゲ代わりにしか使ったことがない。本来、フォークのような歯の部分で麺をすくい、スプーンのような腹の部分でスープをすくって、麺とスープを同時に楽しめるのがこのラーメンフォークのいちばんのポイントであろうが、それを十分に享受できていないのである。もしかしたらそういう方も多いのかもしれないが、せっかくなので次スガキヤに行く時(おそらく近々)には、ラーメンフォークのみでラーメンを食べてみようと思う。
 ラーメンフォークのリニューアル、左利きの皆さんはすぐにお気づきになっただろうか。実際、リニューアル前後で使い勝手はどう変わっただろうか。スガキヤユーザーの方はもちろん、スガキヤに行ったことがないという方も、この機会にラーメンフォークを使ってみてはいかがだろうか(決してスガキヤの回し者ではありません…)。
 

[参考文献・サイト]
 
・スガキヤの先割れスプーンはMoMA美術館が認めた芸術品!その歴史や使い方は?プレジデントオンライン
 
https://jouer-style.jp/10206
 
・スガキヤ、「新ラーメンフォーク」を全店舗で導入初の販売もサカエ経済新聞
 
https://sakae.keizai.biz/headline/594/

 
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第五回 「テーブルマナーと利き手 その3

 
 今回は、日本のテーブルマナーの礎となる箸についてお話ししようと思うが、その前に、前回の西洋のテーブルマナーについて、左利きの幼なじみに実際のところを聞いてみた。彼女は右利きの人と同様、右手にナイフ、左手にフォークを持って食事をするそうだ。最初からそうだったからとくに不便は感じないそうで、料理を口に運ぶフォークは利き手である左手で持っているからむしろ使いやすいとのこと。たしかに、料理を口に運ぶ時、不便なのはむしろ左手でフォークを持つ右利きの方かもしれない。ただ、だからといって左右を持ち替えると、今度は左手でナイフを使えるかどうかという問題が出てくる。筆者もイメージしてみたが、やはり何となく違和感があった。
 
 ナイフとフォークに関しては、両手を使うということもあるからか、そこまで利き手というものを強く意識することはないように思えるが、それを如実に感じられるのはやはり日本の箸の文化だろう。箸は片手で使う上に、器用さも必要だからだ。
 
 日本で箸が使われ始めたのは、諸説あるがおおよそ弥生時代(3世紀頃)だといわれている。最初は食事用ではなく、神様に食べ物をお供えする際に使われていたようだ。食事用に使われるようになったのはその後の飛鳥時代(7世紀頃)で、食事で箸を使うという文化は実は元々日本のものではなく、中国から伝わったとされている。伝来してから1400年ともなると、もはや純然たる日本の文化のようにも思えるが、起源が中国とは少し意外だ。
 
 発祥の国ではないものの、今やアジアの箸を使う文化圏の中で、日本だけが「純粋な箸食の国」であるといわれるほど、箸は日本人の生活に浸透していると言える。食事の際、他のお箸文化圏ではスプーンなどを併用するが、日本では箸だけで食事をする場合がほとんどだ。それどころか、本来カトラリーを使うフランス料理なども、「お箸で食べるフレンチ」などのように、箸で食べることを謳っているお店も日本では少なくない。これも箸が生活に深く入り込んでいる日本ならではの発想だと思う。
 
 日本人は誰もが子供の頃から当たり前のように箸を使っているので忘れがちだが、例えば、外国人観光客が不慣れな手つきで箸を使って食事をする場面などを見ると、箸は本来使うのが難しい道具なのだと気づかされることがある。それゆえに、本来は利き手(使いやすい方の手)で使うのが理にかなっているはずだ。
 ただ、左利きの方の中には、箸を右手で使えるように矯正させられたという方もいらっしゃるだろう。右利きの筆者から見て、今はそのような風潮はなさそうだ(ないと思いたい)が、筆者が利き手について見聞を広める中で、どうしても解せないのはこの部分だ。時代が時代なら当たり前だった、この「右利き然」といった風潮は、どういった考えから来るものなのか。そのあたりも今後切り込んでいければと考えている。
 

[参考文献・サイト]
 
(財)日本ホテル教育センター・編『テーブルマナーの基本』日本ホテル教育センター、2006年 
 
お箸の歴史はいつから?|岩多箸店
https://www.wajimahashi.com/blog/4368
 
特集2 お箸のはなし(1):農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1605/spe2_01.html
 

 
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第四回 「テーブルマナーと利き手 その2

中世ヨーロッパ王侯貴族の食事風景。大皿料理を取り分けて食べるのが一般的だった。

 そもそもテーブルマナーは中世ヨーロッパにおいて始まったとされるが、皆さんは中世ヨーロッパの食事というと、どのようなイメージを持たれるだろうか。どんな場所で食べていたのか、一人で静かに食べていたのか、それとも大勢でにぎやかに食べていたのか。いろいろあるだろうが、掲載した中世の絵のように長いテーブルがあり、料理を囲んで人々がひしめき合っている、これがいわゆる典型的な中世ヨーロッパの食事風景であるようだ。
 
 見たところ、料理は大皿でテーブルの中央にどんと置かれている。現代のように、一人一人の前にカトラリーが並んでいるということはなく、むしろカトラリーらしきものも見当たらないが、当時の人々は一体どのようにして料理を口に運んでいたのか。実は、テーブルマナーの本場であるヨーロッパでも、当初は貴族ですら「手づかみ」で食事をしていたというのである(驚き !)。ただ、手づかみでありながらも、一応マナーのある貴族は全部の指は使わず、親指・人差し指・中指の 3本の指だけを使っていたそうだ(それはマナーといえるのか ?)。
 
 今でこそ、右手にはナイフ、左手にはフォークといった厳密なテーブルマナーが存在するが、手づかみで食事をしていた時代には、おそらく、右や左といった概念はほとんどなかったのではないだろうか。当時の作法書には、以下のように記されている箇所がある。
「隣席の人から離れている方の手で、いつも、食べなければなりません。その人があなたの右側にいるのなら、左手で食べる方が良いでしょう。両方の手で食べることは、止めてもらいたいものです。」
 咎めているのは両手を使って食べることであり、どちらの手を使うかに関しては「隣席の人から離れている方の手」を推奨している。これは右利き左利き関係なくそうすべきということだ。ただでさえ人口密度の高い食卓で、両側に人がいる場合はどうするのだろうという疑問がちらっとよぎったが、要は「隣の人を気遣って食事しなさいよー」ということだと思う。現代のカチッとしたマナーから考えるとずいぶんフレキシブルであるが、本質的には通ずるものがあるだろう。
 
山根一郎「中世ヨーロッパ作法書の作法学的分析 カトーからリヴァまで」椙山女学園大学研究論集、第39号(人文科学篇)、2008、63頁
 
 手づかみで食事をしていた時代、フォークはまだ登場していなかったが、ナイフとスプーンはすでに食卓で使われていた。ただし、ナイフ(食事用というよりは短刀のようなイメージ)は大きな肉などを切り分けるため、スプーンはスープなど水分の多いものをすくうため、いずれも個人で使うものではなく、共用で使われていた。
 そしてフォークが登場するのだが、このフォークがテーブルマナーを劇的に変えたといわれている。 1533年、イタリアの名家・メディチ家の女性がフランス王家へ嫁いだ際、嫁入り道具の食器類の中にあり、そこからフランスに広まったフォーク。手を汚さずに熱いものも食べられるフォークの登場は、画期的を通り越して「革命」であった。
 婚姻の際、メディチ家の女性に付き添ってフランス入りした料理人は、『食事作法の 50則』という世界初のテーブルマナー専門書を著したが、そんな本の必要性を思わせるほど、フランス王家のワイルドすぎるテーブルマナーは衝撃的だったのであろう。
 
 さて、テーブルマナーの起源をたどってみて、現代のかしこまったイメージからあまりにもかけ離れたワイルドさに筆者も驚いたのだが、こういったスタイルは古代の狩猟生活の名残とも考えられるようだ。
 では、農耕生活を送っていた日本では、テーブルマナーはどうだったのだろうか。食事に欠かせない箸はいつごろ、どのように登場したのだろうか。次回はそのあたりに触れてみたいと思う。
 

[参考文献・サイト]
 
ベサニー・パトリック(上原裕美子=訳)『マナーとエチケットの文化史』
財団法人日本ホテル教育センター編『テーブルマナーの基本』 
山根一郎「中世ヨーロッパ作法書の作法学的分析1 ―カトーからリヴァまで―」椙山女学園大学研究論集、第39号(人文科学篇)、2008
https://shinryourimonogatari.com/the-medieval-european-table/#i-11
中世ヨーロッパの食卓|貴族や庶民の食事/なんと手づかみで食べていた!そのテーブルマナーは?
https://www.craft-store.jp/features/reason-why-swelling-wine-glass
意外に知らないカトラリーの歴史/スプーン、フォーク、ナイフ
https://icpa-in.com/ja/the-history-of-western-table-etiquette-from-the-ground-up/
国際プロトコール学習:西洋のテーブルマナーの歴史を一から学ぶ
https://www.youshokki.com/カトラリー検定/テーブルマナー/カトラリーの歴史はマナーの歴史/
カトラリーの歴史はマナーの歴史

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第三回 「テーブルマナーと利き手 その1

 先日、テレビであるトーク番組を観ていたところ、出演者3人のうち2人が偶然にも左利きだったため、しばし「左利きあるある」で盛り上がっていた。それによると、横並びのカウンター席に着く際、左利きの人はいちばん左に座りたがるといい、理由としては右利きの人と隣り合うとひじがぶつかってしまうからだそうだ。たしかに、右利きからしても、左利きの人が右側に座っていたら、ぶつからないように気を遣うかもしれないし、左利きの人はおそらくそれ以上に気を遣うのだろう。
 
 この、隣の人を気遣うという点に関して言えば、「テーブルマナー」にも利き手は大いに関係してくるように思う。テーブルマナーというと、フォークやナイフがずらりと並ぶような食事の席で、堅苦しい、かしこまった印象が強い。服装や立ち居振る舞い、カトラリーの使い方や所作にまで細かな決まりがあって、それこそ指の先まで神経をとがらせなければいけないような緊張感が漂う。
 一挙手一投足に注目が集まりそうな張りつめた空気の中で、さも当たり前のように右利き仕様に並べられたカトラリーを、左利きの人はどのように使うのだろうか。右利きの場合は通常、右側にナイフ、左側にフォークが並べられている通りに手に取り、そのまま使う。お肉を切るときなどは少し力がいるから、利き手でナイフを持つほうが理にかなっているということらしい。となると、左利きの人はナイフを左手に持ち替えることになるが、これはマナー的にはどうなのだろうか。調べてみたところ、テーブルマナー発祥のヨーロッパでは、とくにフォーマルな席の場合、基本的に持ち替えることはしないようだ。
 
 そもそも、日本のテーブルマナーはヨーロッパ式に則っているため(イギリス式とフランス式の混在型)、持ち替える、持ち替えない、は左利きの人の間でも分かれるかもしれない。ただ、持ち替えることが明確にマナー違反だとしたら酷な話だ。仮にマナーに反すると言われたところで、不慣れな逆の手ではカトラリーをうまく使えないかもしれず、ともすれば大きな音を立てたり、落としてしまったりという可能性もなくはない。そうなれば本当のマナー違反になってしまう……。そのため、昨今では持ち替えOKという風潮が一般的であるようだ(ぜひともそうであってほしい)。
 
 ちなみに、自身でセッティングそのものを逆に変えることはマナー違反になるようだが、例えばあらかじめお店に伝えてセッティングを逆にしておいてもらうことなどは可能なのだろうか。最初から使いやすいセッティングなら、余計なことは考えずに食事を楽しめる気がするが、左利きの皆さんの中で、お店に要望を伝えた等の経験をお持ちの方はいらっしゃるだろうか。
 
 ともあれ、おいしそうな料理を前にしては、マナーを無視してすぐにでもお肉にかぶりつきたくなるが(ちなみにこれは最悪のマナー違反)、実はこの野性的(?)な感覚も、テーブルマナーの歴史をひも解けば案外はずれてはいないようである。次回は、そのあたりのお話ができればと考えている。
 

[参考サイト]
 
ナイフの左利きマナー|どっち?を元ウェイターが解説【右手だけじゃない】
https://himeji-tabippo.com/lefthand-manner/
フォークの持ち替えは禁止!?『イギリス』の食事マナーはフランスとはまるで別モノだった!
https://news.line.me/detail/oa-olihito-news/09377728b600
服装(ドレスコード)、入退店時の注意点からナイフやフォークの使い方まで。洋食のテーブルマナーをおさらいしよう
https://haraheri.net/article/985/western_table_manners#toc-113
きれいな所作を心がけて!  料理別、基本的な“美しい”食べ方!
https://safarilounge.jp/online/lifestyle/column/detail.php?id=8319&p=10

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第二回 「両手を使う動作の話

 
 利き手というのは、何か動作をする時に器用さなどが優れているほうの手を指す。例えば、文字を書く、お箸を使う、などが利き手を判断するにあたって代表的な動作になるだろうか。ただ、日常生活の中で、左利きは左手ばかりを、右利きは右手ばかりを使っているわけではない。むしろ、両手を使う動作が意外に多い。例えば、パソコンやスマートフォンの操作、楽器の演奏、より身近なところでは、靴ひもを結ぶ、ペットボトル等のふたを開ける、食器を洗う、ドライヤーで髪を乾かす、など挙げればキリがない。パソコンの操作や楽器の演奏などは、訓練や慣れによるところも大きいが、日常生活におけるそれは、いわゆる「ちょっとした動作」であり、私たちはより無意識的に利き手とは逆の手を使っているのである。
 
 両手を使う動作の場合、右利きであれば、主たる動作は利き手である右手で行い、補助的な動作は利き手と逆の左手で行うことが多いだろう。ただ、主たる手が逆になることもしばしばあるのではないかと思う。例えば、先述したドライヤーで髪を乾かす時。右利きの場合、ドライヤーを持つのはたいてい右手だろうが、左手で持つという人も中にはいるだろう。(おそらく、文字を書く時より確率は上がると思う。)あるいは、右側を乾かす時は右手に持ち、左側を乾かす時は左手で持つというフレキシブルなタイプの人もいるだろう。現に、筆者の家族はそのタイプである。
 
 また、先日SNSを見ていて、ペットボトルのふたを開ける時、右利きでも左手で開けるという人が意外に多くて驚いた。しかも、「それが普通だと思っていた」という意見がちらほらあり、人に指摘されて初めて自覚した人もいるようだ。そういえば、筆者はどうしているだろうと思い返してみたところ、ふたを開ける手は状況に応じて左右を使い分けていることに気づいた。(最初に開ける時は力を入れたいので利き手である右手で開け、右手で持ってスムーズに飲みたい時は左手で開けるなど。)
 これは、両手を使う動作であるため、仮に左右を逆にしても、まったくできなくなるということはない。先ほどのドライヤーにしてもそうだが、両手を使う場合、右利きでいう左手、左利きでいう右手のように、逆の手が「劣っている」という消極的な意味合いはなくなるのではないか。むしろ、どちらもが積極的にそれぞれの役割を担っているように思えるのである。
 
 日常生活におけるさまざまな動作は、ほとんど無意識的に行っていることが多い。けれど、「あれ?そういえばこの動作の時はどっちの手を利き手にしているんだっけ?」と少し意識的に考えてみるのも面白いと思った。両手を使う動作において、場合によっては利き手なんてあってないようなものだなと感じたのだが、これは右利きゆえの妄言(?)だろうか。左利きの皆さんはどう思われるのか、非常に気になるところである。
 

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第一回 「新たな視点」

 

はじめに紹介しておくと、筆者はなぜかダーツだけは左投げの右利きである。血縁では母方の祖父が唯一両利きであり、右手で字を書いて左手で消しゴムを使っていたのをよく覚えている。
 
血縁以外の身近なところでは幼なじみが左利きだった。田舎の小学校で、1クラス20人余りのうち、左利きだったのは幼なじみの彼女を含めてたった二人だけ。一般的に、左利きは全人口の10%といわれているそうなので、まさにそれを地で行く割合であるが、人数を鮮明に覚えていること自体、左利きがいかに際立った存在であったかがよくわかる。
 
小学生の頃はただ漠然と「左利きってかっこいい!」と思っていた。この「かっこいい」というイメージはどうやら、筆者のみならず、右利きの人の多くが左利きの人に対して持つものらしい。彼女が左手でスラスラ文字を書く姿はとても器用に見えたし、差し向かいで勉強していたときなどは、自分の勉強そっちのけでじっと見入っていた記憶がある。彼女にとっては至って普通のことだったはずだが、その姿に触発されて、ひそかに左手で字を書く練習をしたこともあった。彼女はまた運動神経がよかったので、ボールを投げたりするのも抜群に上手かった。もちろん、同じように器用な子はほかにもいたけれど、彼女は左利きであるがゆえに特別だったのだ。
 
今思えば、それは少数派への無邪気な憧れのようなものだったかもしれず、左利きであることで生じる不便さなどにはまったく思い至らなかった。それは当時だけではない。何かきっかけでもない限り、利き手について思いを巡らせることなどそうそうないだろう。自分は右利きで、何の不自由もなく、何の疑問も持たずに日常生活を送れているのだから。
 
今回このお話をいただいたとき、右利きである筆者が、利き手について何か語れることはあるのだろうか、と考えあぐねた。それと同時に、今までそのような視点から身の回りを見たことがなかったことに気づいて愕然とした。
 
例えば、駅の自動改札の多くは読み取り部が右側にあり、左利きの人には通りづらい仕様になっている。スポーツでは左利きの人は重宝がられる傾向にあるが、必要な道具は選択肢が少なかったり、右利きのものより高額だったり、あるいは練習場所が限られたりすることもある。シャツのボタンの位置や腕時計はどうだろう。挙げればキリがないが、世の中は当たり前のように右利き仕様になっていて、左利きの人はそれゆえに大小さまざまな不便を日々感じているのである。それらを実感として捉えることは難しいかもしれないが、右利きならではの視点から「利き手」にまつわるさまざまな事象について、これから考えていければと思っている。
 

[参考文献]
『左利きあるある 右利きないない』 左来人・著
『新版 自然界における左と右 上』 マーティン・ガードナー・著/坪井忠二 藤井昭彦 小島弘・訳
『左ききのトリセツ』 實吉達郎・著

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[垣貫由衣さんのプロフィール]
滋賀県出身。現在は愛知県豊橋市在住。出版社に勤務した後、2012年よりフリーライターとして活動。おもに校正、リライト·取材執筆など。飲食店、経営者など取材件数は350以上。雑誌、書籍、ガイドブック、ウェブなど50以上の媒体に携わる。とにかく、読むこと、書くことが好きで、ひそかに小品や短編を書き溜めている。趣味は読書、野球観戦、ゴルフ。
 


 
 

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